6月2日〜3日  伊豆へのドライブ               2015年6月2日〜3日



 残り少ない健保保養所の利用で「熱海・来宮荘」を泊まり場所に、西伊豆・堂ヶ島まで足を伸ばしました。。
 東名・沼津ICから「柿田川公園」へ寄って、富士の湧き水名所を散策しました。

参考:柿田川公園へリンク


湧き水(動画だと明瞭に見えます)


貴船神社      参考:貴船神社へリンク


堂ヶ島への途中 鮎つりの姿が観える狩野川


堂ヶ島     参考:西伊豆・堂ヶ島

堂ヶ島 遊覧船の発着所

貫門コースの遊覧船に乗りました


船が天窓洞内で Uターン


堂ヶ島から黄金岬〜恋人岬 と立ち寄って 来宮保養所へ
黄金岬
    参考:黄金岬


恋人岬     参考:恋人岬

良い天気であれば このように観えるそうだ


保養所の窓外(夕景)                     夕食



翌3日  朝食

保養所入り口

 朝から土砂降りの雨で、「MOA美術館」の展示を観て家に戻りました。
     以下 MOA美術館のHPよりコピー (展示期間後、HPアクセス不可を考慮した)


MOA美術館     参考:MOA美術館へリンク


MOA美術館   所蔵企画展 又兵衛 山中常盤物語絵巻【開催中】

2015515日(金)〜617日(水)

 岩佐又兵衛勝以(15781650)は、豊かな頬と長い頤(おとがい)の人物表現や大和絵と漢画を折衷したような独特の画風で一世を風靡し、後の画界に大きな影響を与えた。山中常盤物語絵巻は、義経の母・山中常磐の敵討ちを題材とする又兵衛絵巻を代表する作品で、全12巻あわせると150mを超える長大な絵巻である。本展では、山中常盤物語絵巻全12巻を展観し、又兵衛絵巻の魅力に迫る。12巻を一堂に展示するのは、3年ぶりのこととなる。

主な作品

重文 山中常盤物語絵巻 伝 岩佐又兵衛勝以 重文 山中常盤物語絵巻 伝 岩佐又兵衛勝以

江戸時代 17世紀

 『山中常盤物語』は、義経伝説に基づく御伽草子系の物語で、奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前が、山中の宿で盗賊に殺され、牛若がその仇を討つという筋書きである。慶長(1596—1615)・元和(1615—1624)・寛永(1624—44)にかけて、操浄瑠璃の一つの演目として盛んに上演され、この巻物はそれを絵巻物化したものである。詞書(ことばがき)に見られる独特の表現から、浄瑠璃の正本(テキスト)にもとづいて制作されたものと考えられている。
 又兵衛が描いたとされる絵巻物群の中で、最も生気あふれる力強い作風で、岩佐又兵衛自身の関与が最も高いと考えられている。特に、巻2・3の常盤主従の道行きの場面などにおける自然や風俗の描写は巧みで、又兵衛の筆を感じさせる。巻4の常盤主従が盗賊に襲われ殺される場面や巻9の義経が八面六臂の活躍によって盗賊たちに仇討ちをする場面など、凄惨な場面の描写の鮮烈さは本図の特色となっている。巻4の常盤が刺される場面では、描かれた松樹が激しくうねりを見せ、次の場面では、ぐったりとうなだれて表されるなど、場面の緊張感や人物の感情を、景物に託して描いているようである。古典絵画からの図様の転用が幾つか指摘されており、又兵衛の古典絵画へ深い造詣があったことが窺われる。
 絵巻の表紙は、唐獅子模様を織り出した豪華な金襴で、見返しは金箔である。軸付紙の菊花流水空押し文様のある料紙が、越前藩主であった松平忠直の署名がある稲富流鉄砲伝書『直矢倉之巻』にも用いられていることから、本絵巻の制作にあたり越前松平家が関与していたことが想定される。
 制作時期は、又兵衛の福井在住期である元和末年から寛永初年頃と推定されているが、料紙装飾や装丁の面から慶長後半から元和初年頃まで引き上げる説もある。
 江戸時代初期の異色の絵巻として、また不明な点の多い岩佐又兵衛の画業を考える上でも注目される作品である。

【あらすじ】

 おごる平家を討つために、源氏の御曹司牛若は十五歳の春、奥州の藤原秀衡を頼り東国へ下る。秀衡の館へ着いた牛若は、鄭重に迎えられ、幸せに日を送る。
都に在る母の常盤は、行方の知れぬ牛若を案じ、無事と再会を祈る。神仏のご利益か、奥州から牛若の文が届く。直ちに奥州の秀衡の館を訪ねようと言う常盤に、乳母の侍従は、春を待つよう諌める。
 春もなかばとなり、常盤は侍従を従え東国へ下る。奥州への徒歩の旅はつらく、二人が山中の宿にたどり着くと、常盤は身も心も疲れ果て、重い病の床につく。
山中の宿に住む六人の盗賊は、常盤と侍従を、東下りの上揩ニみて、美しい小袖を盗もうと謀る。夜半におし入った盗賊たちは、常盤と侍従の着ている小袖まで剝ぎとる。常盤は、肌をかくす小袖を残すがなさけ、さもなくば命もとってゆけと叫ぶ。盗賊は常盤を刺し、常盤にすがる侍従も殺して逃げ去る。騒ぎに馳せつけた宿の主人に、常盤は自らの出生と事の次第を打ち明け、いとしい牛若が都へ上る折に、道端から守ってやりたいので、道端に土葬にし高札を立ててほしい、と大夫に頼み息絶える。
 秀衡の館の牛若は、母の常盤が夢にうつつに現れるのが気にかかり、館を忍び出て京へ上る。途中美濃国赤坂の宿で泊まるが、山中の宿まではわずか三里、一夜の違いで母の常盤に会えないあわれさ。山中の宿で常盤と侍従が殺されるのはその夜のことであった。翌日山中の宿はずれで真新しい塚を見た牛若は、懇ろに回向するが、何か去り難く終日をそこで過ごし、偶然にも昨夜常盤が襲われた山中の宿に泊まる。その夜、牛若は夢枕に立った常盤の姿を不審に思い、宿の大夫に尋ねる。大夫は涙ながらに前夜の出来事を一部始終話し、形見の品々を見せる。牛若は見覚えのある品々を抱きしめて嘆き悲しむ。
 牛若は心をとりなおし、盗賊をおびき寄せて討ち取るために宿を明日まで借りたいと大夫に頼む。牛若は女房に、座敷一ぱいに派手な小袖や黄金の太刀を掛け並べてもらい、さまざまな姿に変装して、この宿に大名が宿をとったと、宿場中触れれ回る。牛若の計略どおり、盗賊はその夜大夫の宿を襲う。待ち構えていた牛若は盗賊をやり過ごしては切り、六人を切り倒す。驚く大夫に命じ、その夜の中に死骸を淵に沈めさせる。牛若は大夫と女房に助力を謝し、後の褒賞を約して秀衡の館へもどる。
 三年三月の後、牛若は大軍を率いて都へ上のぼるが、途中山中の宿で常盤の墓前で手厚く回向し、かつての大夫と女房に、山中三百町の土地を与え、その恩に報いた。

【あらすじ】

 




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