姪の結婚式に参加した記録
場所:ハワイ ワイキキ(セントピータースエピスコパル教会)
旅行予定:2001年9月7日東京発〜9月13日東京着
実際旅行:2001年9月7日東京発〜9月16日東京着(ニューヨークの同時テロで航空機乗っ取りとWTC(ワールド・トレード・センタービル)突込みによるビル倒壊事件によるFAA:アメリカ航空局の空港閉鎖)
2001年9月7日(金)
12時30分に浦和の家を出発、あさひ銀行浦和中央支店2階で$300を換金し成田空港へ向かう。
成田空港近くの駐車場(成田空港パーキング)へ着いたのは16時20分で、17時に成田空港へ着き搭乗券を入手して、手荷物以外の携行品をJALカウンターへ預けました。
20時40分発のJAL075便の搭乗開始までの時間を空港ビルデッキや売店で時間をつぶします。夕食はターミナルビルの寿司屋で済ませました飛行機は10分程度の遅れで成田空港を離陸しました。
以下 ハワイ時間
2001年9月7日(金)
6時10分ホノルル空港着陸、JALパックの出迎え人に呼ばれレイを首にかけて写真撮影をしてもらいます。バスでDFS(ガレリア)4階に有るJALパックの説明会場へ送り込まれて一通りの説明を聞きます。
ここで携帯電話を借りて、予約のホテル「シェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテル」へチェックインしました。
部屋は18階46号でベランダからの眺めは海と山を眺められます。右に「シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル」とワイキキ交番や海。正面に「ハイアットリージェンシーホテル」のツインビルと「キングス・ビレッジ」の屋根、下に「シェラトン・プリンセス・カイウラニ」プールサイドのコーナーであるピカケテラス。左に運河やゴルフ場と斜面に建つ家並があります。
↑ シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル
シェラトン・プリンセス・カイウラニには、JALパックの現地子会社事務所:JIHP(ジャパ)があり、空港で撮影した写真を$20で売っていましたが写りが悪いので購入はやめました。
別に向った花嫁の家族と連絡が取れないので、アラモアナセンターへ行きウインドーショッピングの後、「シェラトン・ワイキキ・ホテル」のロビーへ行き花嫁ファミリーが居るか確認しましたが行き違いになったようでした。ホテルへ戻り「ハワイ島観光」「オアフ島一日周遊観光」のオプション旅行を申し込みました。
花嫁の父君の電話メッセージでホテルへ戻った事を知り、19時に花嫁ファミリーが泊まっている「シェラトン・ワイキキ・ホテル」のロビーで、明日の結婚式へ向う場所と時間や、その後、行動する予定を打ち合わせてDFS(ガレリア)に行きました。酒の売り場でワインの試飲をしましたが、一人は顔立ちが幼く見えたのか21才未満だからダメと断られていました。
2001年9月8日(土)
朝、ワイキキトロリーに乗りワイキキ動物園前で降りて動物園へ入りました。動物園のレイアウトや動物は昨年と変わらりなくありました。動物園を一回りすると11時を過ぎており「えぞ菊(ラーメン屋)」の弁当を買って自分達の部屋で食事をしました。
13時に待ち合わせ場所の「シェラトン・ワイキキ・ホテル」のエントランスへ行きました。結婚する当事者は白いリムジンで参加者はワゴン車に乗り、式場である教会へ向かいます。参加者は、両家の両親、花嫁の妹と友人姉妹、叔母、私夫婦の十人でした。結婚式は15時から注意・リハーサル・写真撮影を含んで40分程度で終わりました。乗っていった車で「シェラトン・ワイキキ」へ送り届けてもらいます。その夜は翌日に行く「ハナウマ湾」行きのバス停留所と時間を確認して別れました。
左から花嫁両親、新婦、新郎、新郎両親(セントピータースエピスコパル教会)
夕方、「キングス・ビレッジ」の衛兵の儀式を観に行きました。衛兵の儀式は18時15分から20分間程あり、その後衛兵が観光客と並んで記念撮影をしてくれるサービスがありました。
2001年9月9日(日)
ワイキキ・トレード・センター前のバス停を8時15分に出る22番バス(ハナウマ湾行き)は15分遅れで来たましたが、座席は既に満席の状況でした。ダイアモンドヘッド公園口で何人か降りたので座わる事ができました。
約40分バスに揺られて「ハナウマ湾」入口へ着きます。入場には清掃協力金としての$3が必要です。また、さんご礁の魚を覗くためのシュノーケルセット賃料$9と保証金代わりの時計でシュノーケルセットを借りました。
9時30分頃~12時過ぎまで各々さんご礁の魚を観賞をして、13時25分のバスでワイキキへ戻りました。
ホテルへ戻りベッドでゴロゴロしている内に寝てしまいました。夕方目覚めて「アロハタワー」にある店へピザを食べに行きました。途中、バス待ちをワイキキ交番前でしていると、海岸にあるトーチの点燈セレモニーを見る事ができました(赤塗りのトラックに赤塗りのバイク、赤色の短いケープをかけた長老と若者2人の3人で来て、長老がワイキキ交番へ挨拶に行った後、点火するトーチの傍で一人がホラ貝を吹き長老が点火する光景)。
ワイキキトロリーでアロハタワーへ行き、タワーの10階展望台へ上りました。展望台からは夕景が一望できますが、人は6人程度と少なかったです。その後、店でピザ2人前とビールやティーをオーダー、ここのピザは大きく残った半分を紙にくるんで持ち帰りました。
ピザを食している時にサンセット観光船のスター・オブ・ホノルル号が桟橋へ接岸するのを観ることが出来ました。
夜は、「シェラトン・ワイキイ・ホテル」30階食堂で、新郎・新婦の御礼の食事を頂きました。
2001年9月10日(月)
今日はオプショナルツアーの「オアフ島一日周遊」に参加しました。8時30分~17時まで、周遊バスに乗り「ハナウマ湾見学(この日は湾内入場は禁止になっていたのでパス)〜シーパーク前〜潮吹岩〜中国人の経営する珊瑚の飾物売店〜ワイメア植物園〜ドール・パイナップル園〜パール・ハーバ記念館〜出発地」のコースで、シーパークから先の海岸はワイキキの海岸が汚れているように感じられる程きれいな海岸が多かったです。また、今日の潮吹岩は風・波申し分なく最高の潮吹状態が観え素晴らしい・・「ブラボー!!」。
更に北へ向かい珊瑚細工の加工・販売店「ノリコ」から「ハクレイ(頭上の花輪)創り」と果物の試食をしました。その後「ワイメア渓谷」へ向かいます。
ワイメア渓谷の売店では、バイキング形式の昼食を摂って、植物園に入り2輛連結の車で奥の「ワイメアの滝」へ向かいました。途中には色々な木々を集めて植林されたハイキングコースもあったようです。
ワイメアの滝では時間追われているように、男性2人の滝壷ダイビングショーを観終わるやすぐに2輛連結車輛の車で植物園入口へ戻らなければなりませんでした。
さらに、オアフ島の中央を貫く道をバスで南下し「ドールのパイナップル畑」へ向かいます。
ドールの「パイナップル畑」売店で休憩してからバスはパイナップル畑を左右に見てパールハーバーへ向かいます。パールハーバー記念館は、人が多く模型や写真を前にガイドの説明を聞く団体で混雑していた。中には中
国人ツアーや韓国人ツアーとも館内ですれ違いました。
ツアーバスは「パールハーバー」を後にフリーウエーを走って「シェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテル」へ戻りました。
今日の夕食は、「ピカケ・テラス」で花嫁ファミリーと一緒にする約束があり一行に我々のホテルへ部屋へ来てもらいました。部屋からの景色を見てもらった後、「キングス・ビレッジ」衛兵儀式を見てから「ピカケ・テラス」へ戻り、バイキング形式のディナーを摂りました。ここの料理の味付けは日本人でも美味しく頂けます。
食後の運動に、阪本ファミリーを送りながらDFSへ行き、適当な時間で切り上げて阪本ファミリーと別れました。阪本ファミリーは明日の早朝帰途に着く予定なので電話で挨拶を済ませました。
2001年9月11日(火)
今日はオプションツアーの「ハワイ島観光」なので、5時起きして食事をとり、出発仕度をしてJIHPの事務所へ行きました。入口が締まっていて 本日FAA(米連邦航空局)の指示で空港は閉鎖されツアーは全てキャンセルになった と告げられました。
理由はニューヨクで航空機がテロリストに乗っ取られ「ワールド・トレード・センター・ビル」が崩壊する大きな事件が起きており部屋へ戻ってニュースを見て欲しいといわれました。
阪本ファミリーは今朝帰国予定で有ったが、チェックアウトを済ませてホノルル空港まで行き、空港で待機していたが見とおしが立たない空港閉鎖の為、「シェラトン・ワイキキ」へ戻り再チェックインすることになったようです。
新婦の父君からの電話で急ぎ「シェラトン・ワイキキ」へ向かい、ファミリーの再チェックインを確認して話をしました。空港にはJAL機が4機、チャイナ機が2機あったとの事です、また「ハナウマ湾」へ行く際に買ったゴザが空港で待つ際に役立った等と聞きました。
ファミリーが落ち着いたのを見てから自分達の行動を考えます。「アラモア・ナショッピング・センター」や「ワイケレ・アウトショップ」など人が集まる場所や「アロハタワー」「パールハーバー記念館」など閉鎖され、「ダイアモンドヘッド」の入山も禁止されているとのことでした。
幸い島内のバスは運転されており、「ワイキキトロリー・レッドライン」で「パンチボールの車窓見学〜ビショップ博物館〜フォスター植物園〜ホテル帰着」とするコースで時間としては9時40分から14時30分の5時間程でした。博物館へ向かう途中「アラモアナ・ショッピング・センター」で降りた客は、泳ぎが目的のアベックひと組でしかいませんでした。
ビショップ博物館では、日系のボランティアから簡単な「カメハメハ家」や王家選出などの「ハワイ統治」の経過説明と「ビショップ家」についての説明を受けました、その後、フラダンス実演観賞、館内展示品観賞をします。館内は4階建てで中央は吹き抜けになっており周囲の廊下に展示物を置いてありました。
「カメハメハ大王」の実物のケープが展示されていて、その説明には「鳥の黄色い羽製でこのケープ作成には5代、45万羽の鳥(鳥もちで鳥を捕まえ、殺すことなく黄色い羽根を抜いて離す)が使われたとの事です。別棟で日本語解説時間のプラネタリウムを見ました。
昼食は付属の「ファースト・フード」で「ローストビーフ・サンドイッチ」と飲み物で済ませるが、サンドイッチの2人分にはフライドポテトが山のようについており、食べ残しを紙にくるみ持ち帰りました。
つぎには「レッド・ワイキキ・トロリー」に乗りファスター植物園へ戻り入園しました。
フォスター植物園は、園内のは広さはそう感じませんが多数の大きな樹木があって、珍しい木の実等見事でした。
↑ ビショップ博物館 ↑ フォスター植物園
ホテル帰着後、JIHPの指示により1日の延泊手続きをしました(料金は半額)。
2時間置き程度にJIHPへ行き状況の確認します。22時にJIHPの窓口に行きましたが進展はありませんでした。新婦ファミリーは再延泊となりました。
2001年9月12日(水)
今日は、ホノルル空港から帰途につく予定であるが、JIHPからは現時点で空港閉鎖はいつ解除されるか不明という事で再度の延泊手続きを求められました。
最後の朝食クーポン券を利用してピカケテラスで朝食をとり、パンを少々を紙に包んでポケットに入れて部屋へ戻りました。
今日は「アラモワナ・ショッピング・センター」の閉鎖も解除されましたが、依然としてホノルル空港は閉鎖されております。普段なら頻繁に飛び交う飛行機の姿が全然見えませんでしたし、引き続き「ダイアモンドヘッド」の入山は禁止されています。
何時帰れるか判らない状況にあり、お金もそうそう使えず、滞在者は近くを「ワイキキ・トロリー」で廻り歩いているようです。とりあえず「アロハタワー」へ行き岸壁から海中を泳ぐ魚を覗き、港の桟橋をぶらつきました。桟橋には日本のコンテナー貨物船が1隻止められてありました。
小さな眼鏡ショップで「サングラス」を覗きこむと中国系の店員がひとつをケースから取り出して見せてくれた。これはしっかりした創りで気に入り、いくらか聞くと$49という。$20なら買うと言うと、$25という。交渉の結果、価格は$22で購入しました。その場から「サングラス」をしてぶらつきます。
アロハタワーでフラダンスのショウを見ながら、「ピカケテラス」で仕入れたパンを食しました。夕方召集されるかも知れないので早めにホテルへ戻るも今夜も状況に変化はありません。
2001年9月13日(木)
今朝は運河沿いの道を散歩して見ます、水際に一見鯵のような魚の群れが寄っているのが眺められた。そこから「アストン・ワイキキ・バニアン」の前を通過して、ロビーに水槽がある「パシフィックビーチホテル」に寄り、水槽の魚を眺めてからホテルに帰りました。
ホテルの部屋で待機になりましたが2時間置きにJIHPの事務所へ行き状況をチェックします。夕方からホノルル空港から飛び立つ飛行機の姿が見えはじめましたがJIHPの指示は再々延泊でした。
夜ワイキキ通りにウインドウショッピングに行き、JALのワイキキ支店前に張紙がありました。
―FAA(米連邦航空局)は空港閉鎖を解くが一定の条件を満たす航空会社に限り運行を許可する―
11日の離陸予定者の一部が帰国に向けて発ったようであるが我々の順番は来ない。
やむを得ず「ブルーライン・トロリー」に乗り「シーライフパーク」まで行き帰ってくるコースに乗りました
↑ ハナウマ湾にて
2001年9月14日(金)
朝5時頃目覚めたのでJIHPの窓口へ行く際に、ロビーのテーブルで米国人が20人程が朝食をしている光景を見ました。JIHPの掲示を見た後部屋へ戻る途中、食事が終わった米国人がチェックアウトしており、車寄せに集合していました。エレベータで日本旅行のガイドを見かけたので声をかけると、ノースウエストは運行を始めるという答えがあった。
9時過ぎに内戦電話があり10時までにチェックアウトして、JIHPの前に集まるよう指示がありました、ようやく帰れるかと思いました。ところがJALの運行許可はFAAからおりていないので、再々々チェックインの指示に変更されてしまいます。このチェックインについてはJIHPとホテルの交渉で一括チェックインをしてJIHPからルームキーを受け取ることになりました(費用はJAL負担)。
ルームキーが出来るまで荷物はJIHPに預けて各々昼食に向かいました。私達は「キングス・ビレッジ」にあるラーメン屋の糸車に入りラーメンとギョーザを食べました。
夜22時に電話連絡で23時までにチェックアウトしJIHP事務所へ集合するように指示が入りました。
早速チェックアウトして事務所で待つ、ホノルルを11日の離陸予定者残りと12日離陸予定者が帰れそうです。
2001年9月15日(土)
深夜0時過ぎにバスに乗込みホノルル空港へ向かいます。ホノルル空港では既に札幌、関空、福岡、成田へ向かうJALの客が団体専用窓口に列を作っていました。その傍に迷彩色の軍服・自動小銃を肩から下げた兵隊が巡回しているモノモノしさです。
搭乗券を2時に貰いすぐに搭乗手続きをしに行きましたが、一人一人のボディーチェックに時間がかかりなかなか搭乗者待合室へ行く事が出来ません。その内に並んでいる人に対して、刃物(ナイフ、爪切り等)、ライター等は事前提出するように指示がされました。
そんなこんなで機上に入れたのは3時30分を過ぎていました。4時過ぎに離陸して成田へ向かいます。この飛行機は臨時便でスチュワーデスも日本から来たようでした。
以下 日本時間
2001年9月16日(日)
朝6時に成田空港へ到着、駐車場へ預けた自動車を届けてもらい自宅へ帰ったのは10時30分頃でした。
今回はハワイ島観光がダメになってしまい残念ですが、日本に帰れた事を真っ先に喜ぶべきでしょうか?
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